14系特急形寝台客車|オハネ14形
0番代
14系特急形寝台客車のB寝台車で、まず先行試作車として1971(昭和46)年に緩急車のスハネフ14
1~3とともにオハネ14 1~7が製造され、続いて1972(昭和47)年までに量産車として8~106までが製造された。
寝台設備は20系のナハネ20形と同様に3段式B寝台であるが、寝台幅が20系の520mmから581・583系特急形交直流電車と同様の700mmに、長さも1,950mmに拡大されている。
また、寝台設備の設置・解体作業の省力化のため、中段寝台はスイッチにより電動で動作する自動昇降装置が取付けられた。また、上段、中段へのハシゴも窓側に収納式のものが固定された。便所および洗面所はFRP製のユニットとなり、前位寄りに2ヵ所ずつ設置され、後位寄りには乗務員室、更衣室、出入台が設置されている。車体側面には12系客車と同様に電動式の行先表示器が設けられた。
台車はTR217B(54以降はTR217C)で110km/h走行を可能とし、冷房装置は屋根上両車端部にAU76(15,000kcal/h)を搭載している。定員48名。車体塗色は青色20号に、窓下と裾部にクリーム色10号の帯を巻いている。
先行試作車は急行「瀬戸2・1号」で暫定使用を開始、続いて量産車が登場すると、1972(昭和47)年3月15日ダイヤ改正から寝台特急「さくら」、「みずほ」、「あさかぜ2・3号」を20系から置き換えて本格運用を開始した。
しかし、1972(昭和47)年11月6日、夜行急行「きたぐに」の食堂車からの出火を原因とする北陸トンネル列車火災事故が発生。国鉄では車両の難燃化対策強化が急務とされ、特に寝台車については20系のように電源装置を旅客車から分離すべきとの判断により、14系の増備についてはここで一旦打切りとなり、24系が新製されることとなった。
1983~85(昭和58~60)には、寝台の2段化改造が施工され、施工車は定員が32名に減少した。
オハネ14
66・84・85・68・69・73・74・79・65・72・75・78・81・83・55・70・71は1982・83(昭和57・58)年にオハネ14
501~517、オハネ14 32・22・29・51・36・88は1984・85(昭和59・60)年にオハネ14
701~706に、オハネ14 67・2・4は1985・86(昭和60・61)年にオハ24 703~705に改造された。
その他は国鉄分割・民営化によりJR東日本、JR西日本、JR九州に承継され、オハネ14
93・97・106はJR東日本において1988(昭和63)年度にスハネ14 701~ 703、オハネ14
1・96・98・ 6・92・94・95・99・100はJR東日本において1988~90(昭和63~平成2)年にスハネ14
751~759に、オハネ14 3はJR西日本において1987(昭和62)年にオロ14 851に、オハネ14
15・17はJR西日本において1991(平成3)年にオハネ14 301・302にぞれぞれ改造された。
2010(平成22)年3月13日のダイヤ改正で、JR東日本の寝台特急「北陸」が廃止され、最後まで残っていた定期運用が消滅、残っていた車両も同年9月までに廃車となって区分消滅した。
オハネ14 1~106
1・3位側を示す。写真手前に便所が設置されている。写真のように、大半の車両が2段式寝台に改造(定員48名から32名に減少)されたほか、他形式への改造も進められ、18両が3段式寝台のまま残った。
オハネ14 82(東オク)
1972.9新製→2010.9廃車
2003年12月14日 尾久客車区にて
300番代
JR西日本において1991(平成3)年に寝台特急「出雲3・2号」の1・2人用B個室寝台車「シングルツイン・ツイン」用として、オハネ14
15・17、オロネ14
7を種車として改造された。前位寄りから「トワイライトエクスプレス」用のオハネ25形520番代と同様にエキストラベットを備えた1人用個室「シングルツイン」が通路を挟んで6室、オハネ25形510番代に準じた4人利用も可能な2人用個室「ツイン」7室が設置されている。定員20名。前位寄りに和式便所、洋式便所、洗面所が設置され、後位寄りに出入台が設置されている。車体の飾り帯は金色である。
1998(平成10)年に「出雲3・2号」が285系電車化されて「サンライズ出雲」となったことに伴い、オロネ14形300番代とともに出雲から京都に転属して「あかつき」に使用されたが、2008(平成20)年3月に同列車が廃止されたため、定期運用を失い、同年6月に3両とも廃車となって区分消滅した。
オハネ14 301~303
写真は「ツイン」通路側を示す。寝台側は後位側に2人用個室「ツイン」7室の窓が上下に並び特徴的であるが、「ツイン」通路側は種車の通路部分の窓配置を活かし、「シングルツイン」部分は天地寸法が小さい3個の窓が並ぶ。写真はオハネ14形を種車としており、オロネ14形を種車とする303は「ツイン」通路部分の窓柱が太く、床下機器配置も異なっていた。
オハネ14 301(京キト)
オハネ14 15 1972.2新製→オハネ14 301 1991.3改造→2008.6廃車
2007年9月29日 京都駅にて
500番代
オハネ14形0番代を北海道向けに改造したグループ。急行「まりも」、「大雪」、「利尻」で使用されていた10系寝台車を置き換えるため、1982・83(昭和57・58)年にオハネ14
66・84・85・68・69・73・74・79・65・72・75・78・81・83・55・70・71を種車として17両が改造された。
先に改造された14系500番代座席車と同様に冬期の着雪、凍結対策として側出入口扉が折戸から引戸に変更されてレールヒータを設置、暖房装置も強化された。一般形客車との連結を考慮して、蒸気暖房(SG)の引き通し管の設置がなされ、最高速度は95km/hに抑えられた。台車はブレーキシリンダを台車装備としてTR217C装備車はTR217F、TR217D装備車はTR217Gに変更された。
札幌に配置され、1985・86(昭和60・61)年に寝台の2段化が行われた。1985(昭和60)年には、昼光急行(「宗谷」、「天北」)用として501~503の寝台1区画がソファシート化されて形式番号はそのままに簡易グリーン席化されたが、翌年には寝台に復元された。
JR北海道に承継され、大半が寝台特急「北斗星」増発用の改造種車となり、オハネ14 514がオロネ25
551に、513がにオロハネ25 554に、512・503・506・510がオロハネ25
555~558に、505・509・511・516がオハネ24 501~504に、508・507がオハネフ24
501・502に、515がスハネ25 503に、517がオハ25 551にそれぞれ改造された。(オロハネ25
556~558が1990年、その他は1989年の改造)
その他の3両(501・502・504)は急行「まりも」で使用されたが、1993(平成5)年には同列車の気動車特急化(「おおぞら13・14号」)に伴いキハ183系との併結改造がなされて車体塗色も気動車に合わせたものに変更された。2001(平成13)年7月、特急「おおぞら」のキハ283系への統一に伴って、列車名が特急「まりも」となって引き続き使用されていたが、2007(平成19)年10月の同列車の臨時列車化に伴って定期運用から離脱し、同年11月に廃車となって区分消滅した。
オハネ14 501~517
オハネ14形を北海道向けに改造したグループで、側出入口扉が引戸に変更されたため、3位側の乗務員室と4位側の更衣室部分の小窓が塞がれている。写真の502は1989(平成元)年にオハネフ24
502に改造された。
オハネ14 507(札サウ)
オハネ14 74 1972.9新製→オハネ14 507 1983.3改造→オハネフ24
502 1989.6改造→2016.3廃車
1987年6月11日 稚内駅にて
700番代
国鉄では、低下傾向にあった寝台特急の利用率向上を図るため、グループ利用をターゲットとして、1984(昭和59)年7月から寝台特急「さくら」、「みずほ」用に4人用個室「カルテット」を連結することになり、同年オハネ14
32・22・29・51・36・88を種車として6両が改造された。
通路と寝台の間に仕切りを設け、上段寝台は固定とし、下段寝台は昼間時はソファーとなるような構造に改め、全8室定員32名となった。車体には側出入口上部にカルテット車を表す「☆☆☆☆」のマークが付いた。
改造当初は品川に配置されたが、1986(昭和61)年に熊本に転属、JR九州に承継されてその後は長崎に転属した。1997(平成9)年に定期運用を離脱、その後個室の扉を撤去し、通常の2段式B寝台として「シュプール大山」に充当されたが、翌1998(平成10)年までに全車廃車となって区分消滅した。
オハネ14 701~106
外観上は改造前と変化がなく、側出入口上部の4つの星マークがカルテット車であることを物語っている。
オハネ14 701(熊クマ)
オハネ14 32 1972.2新製→オハネ14
701 1984.5改造→1998.3廃車
1988年3月8日 熊本駅にて