113系近郊形直流電車|2700番代
概説
113系の耐寒耐雪グループ
700番代のシートピッチ改善車で、1980(昭和55)年の草津線全線電化開業用として、モハ112・113-2701~2704、クハ111-2701・2702・2751・2752の12両が新製された。車体は
2000番代を基本とし、側引戸の半自動化およびレールヒータ取付等がなされている。
113系1500番代と同様に便所は偶数向制御車にのみ設置された。塗装は湘南色である。
1984(昭和59)年2月ダイヤ改正での短編成・フリークエントービス実施に伴い、不足する制御車はクハ111形2000・2100番代から改造することになった。1983・84(昭和59)年に8両が改造されて、クハ111-2109~2112がクハ111-2703~2706、クハ111-2009~2012がクハ111-2753~2756と、番号上は新製車の追番となった。
全車JR西日本に承継されたが、近畿圏アーバンネットワークにおいて、1992(平成4)年3月のダイヤ改正より113系の最高運転速度を110km/h化してスピードアップを図ることになり、本グループも改造対象とされ、1991(平成3)年度に全車原番号に5000をプラスした7700番代となって、2700番代は区分消滅した。
その後、2005(平成17)年4月に起きた福知山線脱線事故により、同線の運転再開時にはATS-Pを使用することになり、それまで福知山線で使用されていた117系が山陰本線京都口などに転出され、代わりに京都の113系が福知山線用として宮原に貸し出された。この際に高速化対応車の一部が高速対応解除を行った。結果として、新たに2700番代にはモハ112・113-7706、クハ111-7710・7760の4両からモハ112・113-2724、クハ111-2834・2718が編入された。しかし、それも束の間、2006(平成18)年1月には再び車両転配の関係から福知山線を去って原番号に復帰、このグループは僅か7ヵ月あまりで消滅した。
モハ113-2701~2704
113系2700番代のM車で、モハ113形2000番代を基本としている。主電動機はMT54B、台車はDT21B。定員120(座席72)名。
JR発足後、1992(平成4)年に全車高速化改造されてモハ113-7701~7704となり、区分消滅した。
モハ113-2701(本ミハ)
1980.1新製→モハ112-7701 1992.1改造
1991年1月1日 石部駅にて
モハ113-2724
モハ113-7706を2005(平成17)年に高速対応解除したもので、2700番代に編入された。種車はすでに車両延命化N40工事を施工済である。2006(平成18)年にモハ113-7706に復帰し、この番号は7ヵ月余りで消滅した。
モハ113-2724(京キト・大ミハに貸出)
モハ113-2024 1978.5新製→モハ113-7024 1992.2改造→車両延命化N40工事 2001.7施工→モハ113-7706 2003.9改造→モハ113-2724 2005.6改造→モハ113-7706 2006.1改造
2005年7月16日 篠山口駅にて
モハ112-2701~2704
113系2700番代のM'車で、パンタグラフ(PS16J)とMG・CPを搭載。
JR発足後、1992(平成4)年に全車高速化改造されてモハ112-7701~7704となり、区分消滅した。
モハ112-2704(本ミハ)
1980.1新製→モハ112-7704 1992.2改造
1990年7月14日 京都駅にて
モハ112-2724
モハ113-2724とユニットを組むM車で、モハ112-7706を2005(平成17)年に高速対応解除したもの。2006(平成18)年にモハ112-7706に復帰した。
モハ112-2724(京キト・大ミハに貸出)
モハ112-2024 1978.5新製→モハ112-7024 1992.2改造→車両延命化N40工事 2001.7施工→モハ112-7706 2003.9改造→モハ112-2724 2005.6改造→モハ112-7706 2006.1改造
2005年7月16日 篠山口駅にて
クハ111-2701・2702
113系2700番代の奇数向制御車で、便所はない。定員114(座席65)名。1992(平成4)年に2両とも高速化改造されてクハ111-7701・7702となった。
クハ111-2701(本ミハ)
1980.1新製→クハ111-7701 1992.1改造
1991年1月1日 石部駅にて
クハ111-2703~2706
1983・84(昭和59)年にクハ111-2109~2112を種車として耐寒耐雪化したもので、番号上は新製車の追番となった。側引戸が半自動化され、空気笛に覆いが取付けられたが、新製車のものとは形状が異なっており、区別が容易である。1992(平成4)年に全車高速化改造されてクハ111-7703~7706となった。
クハ111-2706(本ミハ)
クハ111-2112 1978.4新製→クハ111-2706 1983.11改造→クハ111-7706 1992.2改造
1988年3月21日 柘植駅にて
クハ111-2718
クハ111-7760を2005(平成17)年に高速化解除して2700番代に編入したものであるが、車歴は実に複雑である。
もともとクハ111-2018として新製されたが、1992(平成4)年に高速化対応してクハ111-7018となり、1994(平成6)年に自動電気連結器を取り付けてクハ111-7607に、2001(平成13)年にそれを撤去してクハ111-7018に戻るとともに車両延命化N40工事併施、2003(平成15)年に耐寒耐雪化してクハ111-7760となっていた。
2006(平成18)年には再び高速対応となり、クハ111-7760に復帰、この番号はわずか7ヵ月余りの間しか存在しなかった。
クハ111-2718(京キト・大ミハに貸出)
クハ111-2018 1978.4新製→クハ111-7018 1992.2改造→クハ111-7607 1994.7改造→クハ111-7018・車両延命化N40工事併施 2001.7改造→クハ111-7760 2003.9改造→クハ111-2718 2005.6改造→クハ111-7760 2006.1改造
2005年7月16日 篠山口駅にて
クハ111-2751・2752
113系2700番代の偶数向制御車で、便所付。定員112(座席62)名。1992(平成4)年に2両とも高速化改造されてクハ111-7751・7752となった。
クハ111-2751(本ミハ)
1980.1新製→クハ111-7751 1992.1改造
1991年1月1日 貴生川駅にて
クハ111-2753~2756
1983・84(昭和59)年にクハ111-2009~2012を種車として耐寒耐雪化したもので、番号上は新製車の追番となった。側引戸が半自動化され、空気笛に覆いが取付けられたが、新製車のものとは形状が異なっており、区別が容易である。1992(平成4)年に全車高速化改造されてクハ111-7753~7756となった。
クハ111-2756(本ミハ)
クハ111-2012 1978.4新製→クハ111-2756 1984.2改造→クハ111-7706 1992.2改造
1988年3月21日 柘植駅にて
クハ111-2834
クハ111-7710を2005(平成17)年に高速化解除したもので、新たに2800番代がおこされた。
車歴は実に複雑で、クハ111-2134として新製されたが、1992(平成4)年に高速化対応してクハ111-7134となり、1994(平成6)年に自動電気連結器を取り付けてクハ111-7507に、2001(平成13)年にそれを撤去してクハ111-7134に戻るとともに車両延命化N40工事併施、2003(平成15)年に耐寒耐雪化してクハ111-7710となった。クハ111-2834となっていたのはわずか7ヵ月余りの間で、2006(平成18)年には再び高速対応となり、クハ111-7710に復帰した。
クハ111-2834(京キト・大ミハに貸出)
クハ111-2134 1980.1新製→クハ111-7134 1992.2改造→クハ111-7507 1994.7改造→クハ111-7134・車両延命化N40工事併施 2001.7改造→クハ111-7710 2003.9改造→クハ111-2834 2005.6改造→クハ111-7710 2006.1改造
2005年7月16日 篠山口駅にて