ITRENINET 鉄道車両形式写真集

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485系特急形交直流電車|200番代


概説

 1972~76(昭和47~51)年に製造されたグループ。モハ484形(M')は冷房装置が集中式のAU71Aに変更、クハ481形については分割・併合に対応するため前面を183系のクハ183形0番代に準じた貫通形に変更されて、それぞれ200番代に区分された。モハ484形以外の冷房装置は分散式のAU13E×5基に変更(後期の増備車はAU13EN)されたが、モハ484形とクハ481形を除く各形式(モハ485形、サロ481形)については番号は在来車の続番となっている。通風器はFRP製の押込形が採用された。
 増備途中の1972(昭和47)年からは車掌室付のM'車として、モハ484形600番代も登場した。
 さらに1974(昭和49)年からは先頭車の全面貫通路を廃止したクハ481形300番代が登場した。
 1976(昭和51)年には北陸、九州地区向けに車販準備室を設置したサハ481形100番代が登場した。
 青森、仙台、向日町、金沢、南福岡などに新製配置され、民営化後はJR北海道(改造目的で配置されたサロ481とサシ481のみ)、JR東日本、JR西日本、JR九州に承継されて引き続き特急列車を中心として活躍したが、ジョイフルトレインや他系列の改造種車となった車両以外は2015(平成27)年までに全車廃車となった。 

モハ485-159

モハ485-97~255

モハ484形200・600番代とユニットを組む中間電動車(M)で、1972〜76(昭和47〜51)年に製造された。主制御器、主抵抗器などを搭載している。冷房装置は分散式のAU13E(180以降はAU13EN)を5基搭載している。主電動機はMT54D、台車はDT32Eである。定員は1〜96と同じ72名。
モハ485-207以降の座席は簡易リクライニングシートに変更された。
199・203~205は1982・83(昭和57・58)年にモハ189-501~504に 、
97・98・100~102・104・105・109・111・113・116・118・120・134・145は1984・85(昭和59・60)年にクモハ485-1~15に、202・231・240・241・242・243・244・245は1986(昭和61)年にクモハ485-101~108に、219・220・235・236・246・247・239はJR西日本において1991(平成3)年にクモハ485-201〜207に、255・250・253・249・210・143・187・183・122・131・114・209・108・140・137・123・186・252・141・251・212はJR西日本において1990~2009(平成2~21)年にモハ183-801~821に、126・153・159・163・195はJR九州において1993・94(平成7・8)年にサハ481-126・153・159・163・195に、149はJR東日本において1997(平成9)年にモロ485-5に、227・228はJR西日本において2003(平成15)年にサハ481-701・702に改造された。
残りは2015(平成27)年に唯一車籍を有していたJR九州Do32編成の196が廃車となり、全車廃車となった。
モハ485-159(鹿カコ)拡大画像を見る
1973.2新製→サハ481-159 1994.6改造→1997.10廃車
1989年1月16日 博多駅にて

モハ485-149

1・3位側を示す。
モハ485-149(新カヌ)拡大画像を見る
1973.1新製→モロ485-6 1997.3改造
1988年11月21日 秋田駅にて

モハ485-103

写真は洗面所の窓が閉鎖された例で、多くの車両に同様の施工例が見られる。
モハ485-103(京キト)拡大画像を見る
1972.9新製→2004.2廃車
2003年7月19日 敦賀駅にて

モハ485-152

写真はJR九州において、便・洗面所を撤去して2位側に車掌室、1位側に業務用室を設置したグループで、編成中間に連結された。車掌室・業務用室部分には下降窓が設置された。写真は赤1色の「RED EXPRESS色」となった車両。
モハ485-152(本カコ)拡大画像を見る
1973.2新製→1991.4 車掌室・業務用室設置工事→2013.2廃車
2010年5月27日 大分駅にて

モハ484-251

モハ484-201~345

キノコ型の冷房装置AU12を搭載していたモハ484形0番代からマイナーチェンジが図られたもので、冷房装置は屋根上に集中式のAU71Aを1基搭載、車掌室および業務用室と、床置式の冷房装置を廃止して定員はモハ485形0番代と同じ72名を確保していることもあり、200番代に区分された。前位寄りに便所(2位側)および洗面所(1位側)を設置。主変圧器(TM14、316〜はTM20)、主整流器(RS40A、309〜はRS22Aで一部はRS45を試用)などの交流機器と、パンタグラフ(PS16H)を2基搭載している。モハ484-309以降の座席は簡易リクライニングシートに変更された。
301・305~307は1982・83(昭和57・58)年にモハ188-501~504に、251はJR東日本において1997(平成9)年にモロ484-7に、322・318・344・336・325・316・288・244・314はJR西日本において2003~2009(平成15~21)年にモハ182-201~209に、312・246・289・285・226・235・218・311・212・243・240・227・329は1996・2004(平成8・16)年にJR西日本においてモハ182-701~713に、335・332・321・227は2001(平成13)年にJR西日本においてサハ481-601~604に改造された。残りは2015(平成27)年にJR九州Do32編成の206・298が廃車となり、全車廃車となり区分消滅した。
モハ484-251(新カヌ)拡大画像を見る
1973.1新製→モロ484-7 1997.3改造
1988年11月21日 秋田駅にて

モハ484-304

2・4位側を示す。九州地区では国鉄時代から大半の車両に対して第2パンタグラフの撤去が進められた。写真は特急「ハウステンボス」で使用された「ハウステンボス色」の車両で、2000(平成12)年以降「きりしま・ひゅうが」に転用されてロゴも「KIRISHIMA & HYUGA」に変更された。。
モハ484-304(本カコ)拡大画像を見る
1973.9新製→2013.3廃車
2010年5月31日 南宮崎駅にて

モハ484-607

モハ484-601~614

1972〜76(昭和47〜51)年に製造された車掌室、業務用室を持つ中間電動車(M')車。ユニットを組む相手はモハ485-134・145・224〜228・249〜255である。出入台客室寄り1位側に車掌室、2位側に業務用室が設置されている。このため定員が60名に減少しているが、その他の基本構造はモハ484形200番代に準ずる。主変圧器は601・602がTM14、603以降はTM20、主整流器は601・602がRS40A、603以降はRS22Aで一部はRS45を試用している。また、603降の座席は簡易リクライニングシートに変更された。
609・612・608はJR西日本において1990(平成2)年にモハ182-802~804に、611・610・613はJR西日本において2009(平成21)年にモハ182-301~303に改造された。残りは2011(平成23)年までに全車廃車となり、区分消滅した。
モハ484-607(福フチ)拡大画像を見る
1974.7新製→2010.9廃車
1989年1月3日 豊岡駅にて

クハ481-206

クハ481-201~263

将来の分割・併合運転に対応するため、前面貫通形に変更されたグループで、1972・73(昭和47・48)年に製造された。前面は中央で分割する扉が開くと、手動巻取り式の愛称表示器を取り付けた貫通扉を設けた構造となっている。車体長は20,500mmで、クハ481形0・100番代と比べて500mm短くなったが、定員は8名増えて64名となった。CPは210kVAのMGとともに床下設置とされた。台車はTR69E。前位の連結器は密着連結器に変更され、203・204・207・208には電気連結器と自動解結装置および自動貫通幌引出装置が試験的に取り付けられたが、1976(昭和51)年に撤去された。
クハ481-236・242・244・248~250・252・259・209~212・201・204・205は1986・87(昭和61・62)年にクロハ481-201~215に(クロハ481-213は1991年に再改造され原番復帰)、226・232・233・234・239・241・251・262はJR九州において1987・88(昭和62・63)年にクロハ481-1~8に、243はJR九州において1990(平成2)年にクロ481-301に、224はJR西日本において1992(平成4)年にクロ481-2201に、クハ481-201(原番復帰後)・222・227・235・254・263・228はJR西日本において2003~2009(平成15~11)年にクハ183-201~207に改造された。
その他はJR九州の大分に所属していた256が最後まで残っていたが、2015(平成27)年に廃車となって区分消滅した。
クハ481-206(本ミフ)拡大画像を見る
1972.8新製→2000.3廃車
1989年1月1日 博多駅にて

クハ481-213

1・3位側を示す。
クハ481-213(鹿カコ)拡大画像を見る
1972.9新製→2011.7廃車
1989年1月1日 博多駅にて

クハ481-256

民営化以降、JR九州では前面貫通扉を埋める工事が行われた。写真は2004(平成16)年3月ダイヤ改正で「きりしま」の増発がなされた際に、緑色の「きりしま色」として復活したDk-9編成の先頭車である。その後大分に転属して国鉄色となり、クハ481形200番代最後の稼働車となった。
クハ481-256(鹿カコ)拡大画像を見る
1973.9新製→平成27廃車
1989年1月1日 博多駅にて

クハ481-246

こちらはJR九州の「ハウステンボス色」で、「きりしま・ひゅうが」転用後も継承された。
クハ481-246(鹿カコ)拡大画像を見る
1973.8新製→2013.3廃車
2010年5月31日 南宮崎駅にて

クハ481-230

こちらはJR九州で国鉄特急色に復元された大分所属のDo-2編成の先頭車。JNRマークまで再現されたが、非貫通化改造、スリット状のタイフォンカバーなど、登場時とは異なる外観が特徴的であった。
クハ481-230(分オイ)拡大画像を見る
1973.1新製→2014.12廃車
2010年5月27日 大分駅にて

クハ481-347

クハ481-301~354

クハ481形200番代で貫通形が採用されたが、冬季の貫通扉からの隙間風や、運転室の居住性に問題があることから、再び非貫通形が製造されることになり、1974〜76(昭和49〜51)年に製造されたのが本グループである。運転室を拡大して乗務員の居住性改善が図られ、車体長が250mm延長、運転室の後部監視窓も復活させた。乗務員室の拡大により、CPを助士席側下部に設置し、車体に風取入口が設けられた。定員は200番代と同じ64名であるが、この時の増備車から座席は簡易リクライニングシートに変更された。
クハ481-309・354は1986(昭和61)年にクロハ481-301・302に(クロハ481-301は1989年に再改造され原番復帰)、348はJR東日本において1989(平成元)年にクロハ481-303に、307・325・327はJR西日本において1991(平成3)年にクロ481-2301~2303に、312・328・329・341・353はJR九州において1987・88(昭和62・63)年にクロハ481-9~13に、342・350はJR東日本において1999・2001(平成11・13)年にクハ481-3342・3350に、331・336・339・304・335・318・302・343・314・305・322・324はJR西日本において1990~2009(平成2~21)年にクハ183-701~712に、301・340・321・338・316・308はJR西日本において1996(平成8)年にクロ183-2701~2706に、349はJR東日本において2001(平成13)年にクハ485-701に改造された。他の車両は2015(平成27)年に元東武乗入用のクハ481-334が廃車になったのを最後に区分消滅した。
写真はJR東日本の新潟に所属して快速「ムーンライトえちご」などに使用された車両で、座席は座面がスライドするリクライニングシートに取り替えられ、6号車である当車は「らくらくトレイン」での運用時に女性専用車となるためピンク色のモケットとなっていた。
クハ481-347(新二イ)拡大画像を見る
1976.5新製→2014.6廃車
2008年6月8日 久喜駅にて

クハ481-332

写真はJR東日本の新潟に所属していた通称「上沼垂色」の車両。この332は勝田に所属した際に7+7の14両編成で使用するのに際し、ジャンパ連結器が取り付けられたが、新潟転属後も台座が残っていた。特急シンボルマークも勝田時代に撤去されていた。
クハ481-332(新二イ)拡大画像を見る
1975.5新製→2014.1廃車
2008年3月30日 長岡駅にて

クハ481-345

写真はJR東日本勝田に所属していた345で、仙台に所属していた1993(平成5)年に磐越西線の「ビバあいづ」用に改造されたもので、運転室屋根上の前照灯が撤去された。「ビバあいづ」編成は2003(平成15)年に波動用として4両が勝田に転属、しばらくは「ビバあいづ」時代の塗色で使用されたが、後に白をベースとして腰部を青色と灰色として、先頭車側面にはイルカのイラストを配した塗色に変更された。
クハ481-345(水カツ)拡大画像を見る
1976.2新製→2013.1廃車
2012年4月15日 尾久駅にて

サロ481-57

サロ481-52~133

分散式の冷房装置AU13Eを搭載したグリーン車で、1972〜76(昭和47〜51)年に製造された。台車はTR69Eで、115以降はTR69Hに変更された。定員48名。1位側出入台客室寄りに車掌室、2位側に業務用室が設置されている。
なお、1975(昭和50)年に「つばさ」電車化の際に製造されたサロ481-115・116・122・123・127・128の6両は、MG・CP付き、前位車端部に車販準備室と車販コーナーを設置しており、当初から1000番代仕様で落成し、1978(昭和53)年にサロ481-1051〜1056に改造された。
サロ481-110・111・113は1978(昭和53)年にサロ189-51~53に、90・98・112・133は1978(昭和53)年にサロ183-1051~1054に(1052・1053は1988年に再改造され原番復帰)、53・56・58・64・67・76・78・83・87・103・130は1984・85(昭和59・60)年にクロ480-5~15に、93・95・96は1986(昭和61)年にサロ110-1356~1358に、126・129はJR東日本において1989(平成元)年にサハ481-301・302に、52・101・102はJR九州において1990(平成2)年にオハ24 301~303に、66・121・131ははJR西日本において1997(平成9)年サハ481-501~503に、106・107はJR東日本において1997・98(平成9・10)年にサロ481-3106・3107に改造された、
その他の車両は2005(平成17)年までに全車廃車となり、形式消滅した。
サロ481-57(本ミフ)拡大画像を見る
1972.8新製→1995.10廃車
1989年1月16日 博多駅にて

サハ481-109

サハ481-101~118

北陸・九州地区の編成増強用として、1976(昭和51)年に製造された付随車。出入台の客室側に車販準備室が設置されており、その部分の側窓は下降窓となっている。定員64名。MG・CPは取付準備工事としており、後にサハ481-101〜107・112〜118にはMG・CPが取付けられた。
110・111は1985(昭和60)年にクハ182-1・2に、107・105・114は1986(昭和61)年にクハ183-103~105に、117・103・112・104・102は1986(昭和61)年にクハ182-101~105に、113・106・101・115は1986(昭和61)年にクハ188-101・102・601・602に、118はJR西日本において1989(平成元)年にクロ481-2101に改造された。
JR東日本ではサハ481-108・109の2両がMG・CP未取付のまま青森から南秋田を経て1989(平成元)年に勝田に転属して、モノクラス編成の「ひたち」で使用されたが、1997・98(平成9・10)年に廃車となって区分消滅した。
サハ481-109(水カツ)拡大画像を見る
1976.6新製→1998.12廃車
1989年8月5日 石岡駅にて

サシ481-60

サシ481-40~76

冷房装置を分散式のAU13Eとした食堂車で、1972〜74(昭和47〜49)年に製造された。食堂は後位側に中央部に通路を配して4人掛けテーブルが片側5卓ずつ計40名分設置され、前位側は1・3位側が調理室で冷蔵庫、流し、電気レンジ、配膳台などを配し、2・4位側は通路となっている。1位側車端部に従業員用男子小便所、3位側車端部には従業員控室、4位側車端部には物置が設置されている。また、前位側には両側に物資搬入用のプラグドア、両車端部(2・3位側)には回送運転台が設けられ、妻部にはHゴム支持の固定窓、屋根上には前照灯、下部に尾灯が取付けられている。台車はTR69E。
なお、1000番代グループは食堂車が製造されず、本グループからサシ481-57〜59・61〜63・65〜67・75・76に引通し線増設改造を行って対応した。
1985(昭和60)年3月ダイヤ改正で本系列の食堂車の連結は廃止された。54・55・69・70・71・73・74は1985(昭和60)年にサロ481-501~507に、68・75・76・70・71・50・52は1987・88(昭和62・63)年にスシ24 501~505・508・3に改造された。(スシ24 501〜503・3は1987・88年に車籍復活の上改造)
サシ481-60(仙セン)拡大画像を見る
1973.1新製→1987.2廃車
1989年5月20日 長町機関区にて

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