EF15形直流電気機関車
概説
戦後初の量産機となった貨物用直流電気機関車で、1947~58(昭和22~33)年にかけて日立・東芝・三菱・川車・汽車・日車で202両が新製された。
デッキ・先台車付で、同時期に新製された旅客用のEF58形と機器類の共通化が図られている。1947・48年に新製された1~8、16~33は登場時、主電動機がMT41(1800kW)で、車体も窓が少なく、パンタグラフも電車用のPS13形となるなど、装備の一部が簡略化されていた。第2次車以降は主電動機をMT42(1900kW)に増強、パンタグラフはPS14形に変更された。なお、1次車も後にパンタグラフをPS10BまたはPS14に変更、一部を除き側面の窓増設改造などが行われている。また、砂箱の数なども製造年次によって変化がある。パンタグラフは第3次車46~129においては、PS14とPS15が混在し、第4次車からは原則としてPS15を装備している。
1951・52(昭和26・27)年には1~8、20~23の各機が勾配区間用として回生ブレーキ取付け改造がなされて奥羽本線用EF16
1~12となり、さらに、1956~58(昭和31~33)年には16・17・19・18・26~28・33・1・24・32・25が上越線用EF16
20~31となった(EF16 13~19は欠番)。なお、EF16 1~10は1967・68(昭和42・43)年にEF15形に復元改造されて元の番号に戻っている。 貨物列車を中心に直流区間各線で活躍したが、1987(昭和62)年までに順次廃車となり、JRに継承されたのはJR西日本所属の動態保存機158号機のみである。
EF15 1~202
写真の112号機は1952~56(昭和27~31)年に新製された3次車で、原則としてパンタグラフがPS14形となっている。ナンバーについては、第3次車ではプレート型が標準。
EF15 112(立)
1954.8新製→1983.8廃車
1982年12月15日 拝島駅にて
EF15形のうち、1958(昭和33)年に新製された162~202は最終(第5次)グループにあたり、車体側面中央部の3つの窓がHゴム支持となっている。写真の200は前照灯がシールドビーム2灯化改造されている。
EF15 200(高ニ)
1958.9新製→1986.1廃車
1986年8月25日 東大宮操車場にて