キハ20系一般形気動車|キハ20形
0番代
キハ20系の本州暖地向け両運転台車として、1957・58(昭和32・33)年に103両が新製された。
キハ17系に比べて車体幅が200mm、高さが180mm拡大されたが、側窓は17系と同様に上段がHゴム支持固定窓のいわゆる“バス窓”タイプとなっている。機関はキハ17と同様のDMH17B(160PS/1500rpm)を使用、台車もDT19C(TR49A)である。定員は82(座席70)名。
機関は1959~1962(昭和34~37)年にDMH17C(180PS/1500rpm)に改修された。
また、1968(昭和43)年に17と43が簡易郵便荷物車化改造され、キハ20 601・602となっている。
本州各地で活躍したが、老朽化と共に廃車が進み、JRには九州の41のみが承継された。しかし、1990(平成2)年までに廃車となって区分消滅した。
キハ20 1~103
キハ20 90(分ノカ)
1958.3新製→1986.7廃車
1986年3月2日 南延岡機関区にて
200番代
0番代グループに続いて1958(昭和33)年から登場した改良形で、1962(昭和37)年までに284両が新製された。
側窓が二段上昇式となり、台車はDT22A・TR51Aに変更、機関はDMH17C(180PS/1500rpm)となった。
329は1967(昭和42)年度に簡易郵便荷物車化改造され、キハ20 651となった。
キハ20系中、最多勢力を誇ったが、1991(平成3)年までに全車廃車となり、区分消滅した。
キハ20 201~484
キハ20 442(広ヒロ)
1962.1新製→1989.3廃車
1988年12月29日 三次駅にて
4・2位側を示す。
キハ20 476(静マタ)
1962.11新製→1987.3廃車
1989年5月13日 西浜松電留線にて
ユニット窓改造車(JR四国)
写真はJR四国に承継されたもので、側窓がユニット窓に変更されている。
キハ20
405(四マツ)
1961.3新製→1991.2廃車
1989年8月2日 松山気動車区にて
500番代
1964・65(昭和39・40)年に22両が新製されたキハ20形の最終グループで、客室灯が蛍光灯化され、台車がDT22C(TR51B)に変更されるなどの設計変更がなされたため新区分番代となったが、外観上は200番代と大きな差異はない。機関はDMH17C(180PS/1500rpm)、定員82(座席70)名。
1993(平成5)年までに全車廃車となって区分消滅した。
キハ20 501~522
キハ20 503(高タカ)
1964.1新製→1990.5廃車
1989年5月3日 東飯能駅にて
ユニット窓改造車(JR四国)
500番代でJR四国に承継されたものはこの1両のみであったが、活躍期間は短かった。
キハ20
513(四マツ)
1964.10新製→1991.2廃車
1989年8月2日 松山気動車区にて
600番代
キハ20形0番代のうち17と43の2両を1968(昭和43)年に簡易郵便荷物車化改造したもので、キハ20
601・602となった。
客室内の一部をロングシート化し、中央部と出入口付近をアコーディオンカーテンで仕切って郵便荷物室として使用できるようにした。1980・81(昭和55・56)年に廃車となって区分消滅した。
650番代
キハ20形600番代と同様の簡易荷物郵便車化改造車であるが、種車が200番代であるため650番代に区分された。キハ20 329から1両のみ1967(昭和42)年に改造されて飯山線で活躍したが、1985(昭和60)年に廃車となって区分消滅した。