戦災復旧車マニ72 21を種車とする救援車スエ71 72

スエ71 72スエ71 72(秋シン) 1988年11月13日 新庄運転区

今日、2015年8月15日で太平洋戦争の終戦から70年を迎えました。テレビや新聞各紙で特集がなされ、各地で戦没者を追悼する行事が行われています。

私自身はもちろん戦争を体験していませんが、父親は学童疎開、母親は東京大空襲を経験し、戦時中の話を伝え聞いてきました。今こうして平和な時代に生きることができているのは、「戦争を二度と繰り返さない」という、両親をはじめ戦中・戦後を生きてきた人たちのおかげだと感謝しています。

そこで今日は戦災復旧車マニ72形を種車とする救援車スエ71 72の写真を貼っておきます。
マニ72形は1950(昭和25)年に25両が製造されたもので、電車を種車としており切妻形となっています。このスエ71 72は、マニ72 21を種車としていますが、電車の旧番は判然としないようです。(明石区で全焼したクハ58012?)
救援車に改造されて新庄機関区に配置されていましたが、国鉄分割民営化直前の1987(昭和62)年2月に廃車となりました。現車はJRになってからも新庄運転区に留置されていましたが、これを撮影してほどなくして秋田に回送されたようです。
(写真をクリックすると、少し大きめの画像が表示されます)


東大宮の撮影会で展示されたEF30 19

EF30 19EF30 19(門) 1986年8月25日 東大宮操車場

国鉄時代に東大宮操車場で行われたイベントから、EF30形の写真をアップします。

晴れていて影がかかっているし、角度もイマイチ。そんな写真ですが、今こうして見ると、東大宮までわざわざ持ってきてパンタも上がって撮影できたんだなぁ、と懐かしく思います。後ろに人も写っていますが、今だとこの程度の人数では済みませんね。
(写真をクリックすると、少し大きめの画像が表示されます)


国鉄時代、山形駅で撮影したクハ455-37

クハ455-37クハ455-37(仙セン) 1985年11月24日 山形駅

本編に457系急行形交直流電車のページをアップしたら、友人から国鉄時代の山形駅で撮影したモハ456-13の写真について、早速コメントをいただきましたので、折角なので455系先頭車の写真をアップします。

隣の5番線には50系客車も停まっていて、懐かしい雰囲気です。クハ455-37はその後車両更新工事を経て、2008(平成20)年まで活躍しました。
(写真をクリックすると、少し大きめの画像が表示されます)


汐留駅で撮影したマニ50 2219

マニ50 2219マニ50 2219(北スミ) 1986年10月25日 汐留駅

昔の写真をスキャンしていたら、汐留駅で撮影したネガがありました。その中からマニ50 2219の写真をアップします。

当時使っていたシグマのレンズもあまり良くないし、形式写真としてはイマイチなのですが、背景に写っているビルに見覚えがあり、汐留駅の貴重な記録でもあるので、過度にトリミングをしないで載せることにしました。右側に写っているのは中銀カプセルタワービルですね。

汐留駅では何枚かの形式写真のほか、荷物の積み込み風景、ホームの様子、駅舎など、気合を入れてスキャンすれば特集ページが出来るぐらい撮っていました。そのうち時間があったら、やってみます。
(写真をクリックすると、少し大きめの画像が表示されます)


修学旅行の時に撮影したクハ421-64

クハ421-64クハ421-64(門ミフ) 1983年10月14日 長崎駅

今から29年前、高校の修学旅行で九州に行きました。長崎市内では自由行動があり、友達と長崎電軌の路面電車に乗ってオランダ坂や平和公園など観光をしたのですが、少しだけ別行動して長崎駅にも立ち寄りました。当時はまだ形式写真に目覚める前で、適当に駅撮りでスナップ風に撮っていたのですが、その中に423系のクハをサイド気味ながら形式写真風に撮っているものがありました。ネガカラーで、色も褪せているため、見栄えはよくありませんが、紹介します。
(写真をクリックすると、少し大きめの画像が表示されます)


福島・栃木出撃報告

キハ40系「ふるさと」キハ40系「ふるさと」 2012年7月21日 福島駅

7月20日の夜、東京を出発する夜行バスを利用し、福島、栃木に出撃してきました。

以前から福島までの夜行バスに乗って福島駅で「北斗星」を撮りたいと思っていたところ、なかなか実現せず、そのうち編成の向きが変わったりしていましたが、今年3月の改正で再度福島駅で寝台側が撮れるようになり、機会を伺っていたところ、丁度この日小牛田のお座敷気動車も合わせて撮れるため、天気予報を気にしていました。金曜日の朝の予報を見て決行することにし、残り僅かの高速バスの座席を確保。東京駅八重洲通り23:55発の仙台行スイート号で出発しました。
福島駅東口に4時過ぎに到着。着いた当初は多少霧雨が降っていましたが、予報通り曇りベースとなるようで一安心です。まだ撮影には早いので、西口にあるガストで早い朝食を取り、再び駅に戻り撮影開始しました。

「北斗星」は手前の1番線にE721系4連が停車しているため撮影車両が限られるものの、撮りたかったスシ24とスハネ25を撮影。その後は701系などを撮影して過ごし、小牛田のお座敷車を待ちます。
直前に日が射してきてひやひやしましたが、7:40、予定通り入線し、乗客が乗り込む前に難なくゲット。 続きを読む


「カートレイン」のカヤ21 10

カヤ21 10カヤ21 10(北オク) 1987年3月22日 恵比寿駅

今日はチョット息抜きに古い写真をスキャンしてみましたので紹介します。
20系寝台客車の職用車カヤ21形ですが、これはナロネ21形とワキ10000形からなる「カートレイン」の電源車として使われていたものを、入換の際に恵比寿駅で撮影したものです。おでこの白線も残っています。

今の恵比寿駅は大きく様変わりしていますが、国鉄民営化直前はこのような風景でした。

(写真をクリックすると、少し大きめの画像が表示されます)


マニ60 76

マニ60 76荷物室内マニ60 76 荷物室内 1988年3月3日

昔のネガを見ていたら、珍しく荷物車の室内を撮ったものがありましたので、紹介します。マニ60 76(米トリ)の荷物室内です。

後藤車両所を訪問した時に撮ったものですが、当時は積極的に室内撮影をしていた訳でもなく、特にお願いした記憶もないので、現場の方が特別に室内も見せてくださったのでしょう。今となっては大変貴重な記録が出来てよかったと思います。
続きを読む


モハ100-1014

モハ100-1014

モハ100-1014(西トタ) 1989年5月20日 塩釜埠頭にて
(サイトに掲載したものを再掲)

かつて豊田から陸前原ノ町にら貸し出されて朱色のまま仙石線を走ったことがある101系1000番代ですが、廃車後は一部がこのように塩釜埠頭駅に留置されていました。

ところが、このモハ100-1014についてはその後仙台港付近で倉庫として利用されていたそう(モハ101-1011も車体切断の上で使用されていたようです)で、こちらによると東日本大震災の津波で流されてしまったそうです。

私はこの車両については、とっくに解体されていたものと思っていましたので、現存していたと知り、驚きました。しかし、被災してしまったことで、残念ですが、やがて解体されてしまうと思います。

なお、塩釜埠頭ではクモヤ90055の写真も撮っていますが、この車両も解体されずに仙台市内で車体が利用されているようです。(現存するかどうかは不明)
別の機会に1989年に撮影した写真を紹介したいと思います。