デハ150形は東京オリンピック開催に伴う道路拡張、輸送力増強のため、1964(昭和39)年に新製された玉電最後の新製車である。鋼製車ながら鉄道線の7000系に準じて側面にはコルゲートが張られ、鋼板も耐候性のものとなった。玉電としては初の方向幕や2灯の前照灯など、随所に近代化したデザインが採り入れられている。1967(昭和42)年に連結2人乗り化が行われ、玉電廃止後も全車世田谷線に残った。1983・84(昭和58・59)年に車体更新が行われ、片運転台化、マーカーランプの撤去、側面コルゲートのステンレス化などが行われた。さらに、前照灯のシールドビーム化、前面向かって左側の窓の2段化、台車の平軸受からコロ軸受への変更などが行われている。
世田谷線に最後まで残った釣掛駆動車であったが、デハ300形への置き換えに伴い、2001年2月10日の運転をもって現役引退した。

更新前のデハ153
1983(昭和58)年から更新が行われたデハ150形であるが、こちらは更新前の姿。マーカーランプや「連結2人乗り」表示が撤去されていないのがわかる。
1983年--月--日 世田谷−上町間にて

更新直後のデハ151
1983(昭和58年)更新直後のデハ151。当時はまだ正面向かって右側の窓が一段窓であった。また、客室内の座席モケットは赤色であったが、後に緑色のものとなっている。
1983年--月--日 上町にて

小さな果物屋さんとデハ151
西太子堂駅は木造屋根の小さな駅舎と、駅前に果物屋さんがあってレトロなムード満点。そこへ引退を間近に控えたデハ150形がやって来した。
2001年1月25日 西太子堂にて

若林踏切付近のデハ154+153
若林踏切を渡るデハ150形。
2001年1月25日 西太子堂−若林間にて

デハ300形との顔合わせ
上町に留置されるデハ152+151の横を駆け抜けて行くデハ306。
2001年1月8日 上町−宮の坂間にて

玉電塗装デハ80形との顔合わせ
2000年の暮れに玉電塗装に復元され、2001年1月の引退まで走った玉電塗装のデハ82+81と顔を合わせた留置中のデハ152+151。
2001年1月8日 上町にて

デハ152の正面
助士席側正面窓が2段窓に改造された晩年の姿。
2001年1月8日 上町にて

デハ300形との離合
山下を出てカーブを行くデハ151+152。後方は小田急線豪徳寺駅。
2001年1月25日 山下−松原間にて

勾配を行く
上の写真のカーブを抜けたあたりを行くデハ153+154。
1998年5月21日 山下−松原間にて

ヘッドライトも鮮やかに
山下−松原間は起伏に富んでいる。
2001年1月25日 山下−松原間にて

赤松公園を横目に
松原を出て直線区間を行くデハ153+154
2001年1月25日 松原−下高井戸間にて

旧七軒町駅付近を行くデハ154+153
写真右側の草が生えているところが七軒町駅跡。昭和24年に9月に廃止された。
1999年5月1日 松原−下高井戸間にて

京王線との乗換駅下高井戸にて
発車を待つデハ153+154。左手に京王6000系の姿が見える。
2001年1月25日 下高井戸間にて