1973(昭和48)年春の新東京国際空港(成田空港)の開港に合わせて、空港連絡特急用として1972(昭和47年)より新製された。形式はAirport
Expressの頭文字をとったものである。また、空港特急および当車の愛称として「スカイライナー」と一般公募によりネーミングされた。
これまでの京成電車のイメージを打ち破る斬新なスタイルとクリームとマルーンのツートンカラーが特徴で、客室内はレザー張りの転換クロスシートで、日本車輛製は茶系、東急車輛製は青系と床と座席の色が区別された。前面は非貫通形高運転台で、前照灯と尾灯が一体型のケースに収められ、スカートはステンレスの地肌がむき出しという珍しいものであった。
制御装置は界磁チョッパで、回生ブレーキ付の全電気指令式ブレーキで定速制御付き、運転台はワンハンドルマスコンを採用した。台車はS形ミンデンのFS-383・FS-083、パンタグラフは下枠交差式となった。
4M2Tの6両×5本が1972(昭和47)年に新製された。番号は第1編成がAE-1、2、3、8、9,10というように、将来の10両編成化を考慮した採番方式となった。
空港開港が遅れたことにより、登場後約1年半の間は雨ざらし状態であったが、1973(昭和48年)より暫定的に京成上野−京成成田間の「特急」として運転が開始され、1974(昭和49)年には鉄道友の会よりブルーリボン賞を受賞した。1977・78(昭和52・53)年に2編成12両を追加新製。1978(昭和53)年には空港建設に反対する過激派により、AE-29が全焼するという事件があり、新製中の鋼体を転用して同年2代目AE-29を新製した。
1978(昭和53年)に成田空港が開港すると本来の目的である空港連絡特急「スカイライナー」としての役目を担った。
外部塗色は1983年(昭和58年)からアイボリーに青、赤のストライプを入れたものに変更し、さらに1988(昭和63)年から座席を自動回転リクライニングシートに変更している。
後継車AE100形の登場により編成を合わせることになって、1990年(平成2年)に8両編成5本に組み替えた。
その際MM2両1ユニットを他の編成に組み込んだが、M1車のパンタグラフは撤去された。Tc車AE-31・40は中間電動車化(台車はAE100形に準じたFS-543A)されてAE-64・65となり、AE-21・30は廃車となった。
後継車両AE100形の増備により、1993年(平成5年)までに現役を引退。1両(AE-61)が宗吾車両基地に保存された。
台車や各機器は1993〜95(平成5〜7年)に新製された3400形に流用されている。

旧塗装時代のAE-20他6連
AE-20 車両履歴 昭和47.3新製→平成5.9廃車
1983年--月--日 日暮里-京成上野間にて