もともとは1921(大正10)年に新製された阪急電鉄の木造車37形37〜39で、1948・49(昭和23・24)年に能勢電鉄に譲渡されて70形71〜73となった。
1953・54(昭和28・29)年に鋼製車体に更新を行い、50形50〜52となったが、50・52は1966(昭和41)年に廃車となり、51のみが残って60形61号と共に川西国鉄前−川西能勢口間の通称「国鉄連絡線」で使用された。なお、集電装置は当初ポールであったが、後にZパンタに交換されている。
「国鉄連絡線」は、国鉄福知山線の川西池田駅に隣接して小さなホームがあった川西国鉄前駅と川西能勢口との間を結んでいた。僅か0.6kmからなる路線で、朝夕のみ単行の電車が運転されていた。晩年はツートンカラーの50形51号が使われていて、昼間は川西能勢口駅の専用ホームで休んでいた。路線は1981年12月19日の運転を最後に翌日付で廃止され、51・61ともに1982(昭和57)年に廃車となって形式消滅した。
当サイトの写真が廃線跡のモニュメントになりました。写真はこちら。

住宅街を横目に走る50形51
1981年12月6日 川西能勢口−川西国鉄前間にて

阪急宝塚線をアンダークロスする50形51
1981年12月6日 川西能勢口−川西国鉄前間にて

カーブを行く50形51
1981年12月6日 川西能勢口−川西国鉄前間にて

50形51
1981年12月6日 川西能勢口−川西国鉄前間にて

川西能勢口へ向かう50形51
1981年12月6日 川西能勢口−川西国鉄前間にて

川西能勢口に留置中の50形51
1981年4月1日 川西能勢口にて
廃線跡に作られたマンホール
再開発により拡幅された道路の歩道のマンホールに「懐かしの情景」として当サイトの写真が焼き付けられました。
写真提供:米田繁一氏(以下2枚共)

廃線跡のカーブ
緩やかなカーブが廃線跡であることを物語っている。

川西能勢口を望む廃線跡
写真中央手前が上記のマンホール。
