広島電鉄は、山陽地方の政治経済、文化の中心都市である広島市を中心に、市内を縦横に走る市内線(軌道)18.8kmと広電西広島(己斐)−広電宮島口の宮島線(鉄道)16.1kmによって路線を形成している。
1910(明治43)年6月18日に広島電気軌道株式会社して創立され、1912(大正元)年11月に市内線の一部が開業。1917(大正6)年に広島瓦斯株式会社と合併して広島瓦斯電軌株式会社として再発足した。その後宮島線が開業、戦局が拡大すると1942(昭和17)年に運輸交通部門が分離・独立して広島電鉄株式会社となった。
1945(昭和20)年8月6日の米軍による原子爆弾投下により、広島市は甚大なる被害を受けたが、広電は奇跡的な復旧し、僅か3日後に一部区間で運行再開している。
1962(昭和37)年1月の広島駅−廿日市間を皮切りに市内線と宮島線との直通運転を開始。1969(昭和44)年には白島線にてワンマン運転を開始して1976(昭和51)年までに市内全線のワンマン化が完了。1980(昭和55)年に市内線初の冷房車が登場した。
他都市から譲受した車両がそのままの塗装で運行されていたことから、“動く交通博物館”などと称されていましたが、その一方で日本鉄道技術協会が開発した「軽快電車」3500形が1980(昭和55)年より運行開始され、以後市内線用、市内線−宮島線直通用に続々と新製車両が投入されている。
市内線は7つの系統を持ち、「2」系統は広島駅−広電宮島口の直通系統となっている。宮島線はかつては高床式の鉄道線専用車両が在籍していたが、並行する国鉄(現JR)山陽本線においてはフリークエントサービスが向上しており、広電においても直通系統用の車両を増備して対抗している。

1982年当時の広島電鉄千田車庫
1982年8月5日