キハ58系特急形気動車|キハ53形(両運転台化改造車)
200番代
後述のキハ53形500番代に続いて、東北地区の陸羽東線などにおける単行運転や、増結用としても使用できるように、キハ58
741・742を種車として両運転台化改造を行ったもので、国鉄末期の1987(昭和62)年に登場した。後位側の車端部を切断し、廃車となったキハ28・58形の運転台部が接合されている。また、種車の便・洗面所は廃止され、便所は4位側に水タンク室と共に新たに設けられた。冷房装置は取付けられていない。定員は74名。
小牛田に配置されて活躍し、晩年は会津若松に所属したが、202が1999(平成11)年に、201が2000(平成12)年に廃車となって区分消滅した。
なお、登場時の外部色は改造前と同様のクリーム色4号と赤11号の塗分けの国鉄急行色であったが、JR発足後数年たってアイボリーに緑の濃淡の東北色に改められた。
キハ53 201・202
キハ53 202(仙ココ)
キハ58 742 1966.5新製→キハ53 202 1987.2改造→1999.6廃車
1988年12月11日 小牛田運転所にて
500番代
北海道地区の閑散線区では、通常キハ22形の単行運転を行っていたが、冬期の降雪時には出力不足のため2両運転を行っていた。このような非効率な運転方法を改善するため、キハ56形を両運転台化改造したものである。1986(昭和61)年にキハ56
14・15・19・40・47・113・120・121・139・38を種車として10両が改造された。形式はキハ45系の両運転台、2機関搭載車であるキハ53の続番に編入された。
種車の後位側を切断し、余剰となったキハ27・56形の運転台部が接合されている。種車の便・洗面所は廃止され、便所は4位側に新設、水タンクも床上式となった。両運転台化に伴い、ブレーキ方式などが変更されている。定員は74名+立席8名。形式は近郊形のキハ53形に編入され、北海道用であることから500番代と区分された。
旭川や釧路などに配置されて閑散線区で活躍したが、1996(平成8)年までに廃車となって区分消滅した。
キハ53 501~510
キハ53 509(釧クシ)
キハ56 139 1967.4新製→キハ53 509 1986.9改造→1993.9廃車
1987年6月14日 網走駅にて
1000番代
JR西日本七尾線の増結用として、キハ58
683・752・783を両運転台化改造したもので、1987・88(昭和62・63)年に3両が改造された。種車が冷房車であることが上記のキハ53形とは異なっているが、電源装置を持たないので単独での冷房使用は不可能である。便・洗面所は撤去され、後位側に国鉄清算事業団より購入した廃車発生品の運転台部が取り付けられた。便所なしのため、1000番代と区分されている。客室内は出入台付近がロングシート化され、定員は101(座席77)名となった。
改造当初は七尾に配置されたが、現在は高岡に所属して氷見線・城端線で使用されている。外部色は七尾色、旧高岡色等を経て、ワインレッドに白帯の高岡色となった。2005(平成17)年に3両とも廃車となって区分消滅した。