都市近郊の非電化区間における通勤・通学輸送混雑緩和を目的に、気動車初の通勤形として1961(昭和36)年に誕生したのがキハ35系である。まずは関西本線の奈良−湊町間に片運転台・便所付きのキハ35形が投入されて昭和36年12月より営業を開始した。
車体は通勤形電車の101系を基本とし、扉はステップを設ける関係から外吊り式の両開き3扉となった。試作車以外の一般形気動車としては初めて横形機関を採用し、機関はDMH17H、台車はDT22C(TR51B)である。接客面では、新製時より蛍光灯、扇風機、放送設備等が設けられるなど、サービス向上が図られたが、ロングシートは閑散時には不評であったようだ。
キハ35形に続いて、1962(昭和37)年に片運転台・便所なしのキハ36形が登場、1963(昭和38)年には両運転台形のキハ30形、国鉄初のオールステンレス車として、試作車キハ35形900番代が登場している。1964(昭和39)年には寒地向けとしてキハ30・35の500番代が新潟地区向けに新製されている。
国鉄時代のキハ35系は、シールドビーム2灯化、前面補強、首都圏における扉半自動化などの改造が行われた。
その後電化の推進によって活躍の場は狭まり、老朽化も進んだことから、1983(昭和58)年から老朽廃車が始まった。また、1986(昭和61)年にキハ35形6両がキハ38 1〜4、1001・1002に改造されている。その他、国鉄清算事業団及びJRより関東鉄道への譲渡も行われた。
JR発足後、1990(平成2)年にキハ35形の改造によって山陽本線和田岬支線用に便所撤去、中央部を除く海側の側扉撤去などを施したキハ35 301〜304と、さらに機関を撤去したキクハ35 301〜304が登場し、2001(平成13)年7月の同線電化開業まで活躍した。
非電化線区の近代化、通勤輸送増強に貢献したキハ35系であるが、JR東日本久留里線が最後の活躍場所となりそうである。

八高線を行くキハ30+キハ38
1988年2月18日 小宮−拝島間にて